研究と開発の違い
この記事では、研究と開発の違いについて私の考えをまとめています。また、それを踏まえて、私が研究の方が好きだと思うに至った経緯を話させてもらいます。
なんとなく研究よりのことがしたいと思う気持ちはあるものの、なぜ研究なのか、開発ではダメなのか。そもそも研究と開発の違いはなんなのか。そんな方のヒントになれば幸いです。
定義/知識作りか物作りか
まずは、研究と開発を自分の中でどう定義しているかを話します。
研究と開発は非常に近いもので、実際日本企業には「研究開発本部」「R&Dセンター」など、研究と開発が併記された部門名が散見されます。ですから、なんとなくニュアンスでしか違いが分からず、明確に区別できていない方も多分きっといるでしょう。
両者の違いは、調べたらいくつか説明が出てきます。割と感覚に馴染む意見も多く、私はそれらを少々アレンジして研究と開発を区分けしています。
調べて出てきた物の中で、言葉としてしっくりきたのは「知の創造/知の応用」(参照)。どちらもなんかカッコいいですね。次は直接研究開発の違いを謳う記事ではありませんが「知の創造/知の具現化」という言葉を使っています(参照)。
このあたりをベースに咀嚼して、平易な日本語にすると「知識を作るのが研究、物やサービスを作るのが開発」と今のところ捉えています。
もちろん、より迅速な開発のためには新しい知識が必要になる場合が多いですし、新しい知識を作るために新しい装置が必要になる場合もあります。また、どちらにせよ先例の調査は必須であるなど、共通する部分もあります。以上のように、両者は連続する部分、共通する部分があり、厳密に切り分けできない場合もあります。研究開発と併記されることが多い理由はそういったところにあるのでしょう。
以降は、「知識を作るのが研究、物やサービスを作るのが開発」だと思って読み進めて下さい。
両者の好悪
開発について
開発の魅力
なんと言っても、初めから「用途のある物」を目指しているところだと思います。現代において「なんの役に立つか分からないけどできそうだから作ってみた」ということはどんどん減ってきています。ほとんどのものが元々なんらかの役割を想定して開発が始まっていますので、成功すれば誰かの役に立つでしょう。特にB to Cの開発であれば、実際に開発物を自ら拝むこともできるのですから、喜びはひとしおです。その事を思って私もB to Cの研究開発部門狙いで就職活動を進めました。
また、純粋な開発というものは極々稀で、開発には研究の要素が付き纏う点も面白いと思います。先に述べたようなモチベーションを持ちながら、研究の楽しさ(後述)にも触れる事ができます。
開発の嫌いな所
考えなくても進んでしまう(場合がある)ところが嫌いです。極端な話、開発は物ができたら勝ちですから、例え偶然いい条件を引いてしまっただけでも、目標性能を示していれば一応成功です。ですから、深く考えることよりも、とにかく試行することを求められる場面も多いです。多少考えているうちはいいですが、とにかく試すだけという段階になると、もはや今まで培ってきた知識や経験などほとんど不要になるので、どうしても自分がやる必要性を感じにくくなります。
研究について
研究の魅力
開発と比べると「なぜ」という知的好奇心に迫る事ができます。ある意味これが目的物そのもののひとつですから。
また、ただデータを揃えるだけで何か知見が得られるわけではないので必ず専門的な解析を要し、誰にでもできるということはありません。そのため、自分こそがこの研究を進めているという充実感を逃すことは稀です。
研究の嫌いな所
研究のと言うと語弊がある気もしますが、仮に成功してもその成果が役に立ったと実感しにくい所でしょうか。研究で得られた知見が社会に還元されるまでには、開発が挟まります。ですから、社会貢献までの距離感は開発と比べて遠く、自身の社会に対する貢献度はボケがちです。しかも、研究成果を自身で、あるいは共同研究先で開発に活用したならまだしも、完全な第三者がその成果を活用して開発に成功しても、その成果が活用されたことを研究者は知り得ません。この場合は、特に社会貢献度の実感は小さなものでしょう。
研究志向を自覚した経緯
研究志向の自覚は、お恥ずかしながら、仕事の開発業務への不満を通して生まれました。ですので、どうして研究志向だと自覚したかを語るためには、仕事の話をしなければなりません。完全な自分語りになってしまいますが、よろしければお付き合い下さい。
元々の入社動機
私は2020年9月現在、大手電機メーカーの研究職として勤務しています。元々「自分が作ったと胸を張れるモノが欲しい」という欲求があり、自分にとってその実現可能性の高い職が大手電機メーカーの研究職だと考えての就職でした。アセンブリしかやらない会社だと、デバイスのコア技術は他社にある事になるので、自分が作ったと言い切れる自信がありませんでした。逆に材料やパーツのメーカーですと、ユーザーの手に触れるものには他社の名前しかのらないので、イマイチ胸を張りにくいと想像していました。対して、大手電機メーカーの研究職であれば、技術の根に近い部分を自ら作り、部門間でやりとりして自社の名前で最終製品を世に送り出せると考え、そこまでやれば胸を張れるだろうと考えました。
会社の方針転換
希望通り研究部門に配属され、しばらくは、期待通りの研究開発に取り組んでいました。しかし、程なくして会社の大きな方針転換があり、研究開発部門に対しても、部門単独で黒字化が求められるようになりました。さらにいえば、研究開発テーマは「2年でお金になる物を」と言われるようになりました。
こうなると、時間をかけてじっくりと技術を作り込んでいる暇はありません。そもそも研究開発テーマは、やればできそうな表面的応用に限られてきます。そのようなテーマで有れば尚更「試した方が早い」となる機会が多く、よく考えずとにかく試すという取り組みを求められることが非常に多くなりました。
不満の裏返しから欲求を自覚
このような状況で、私が自身がやることの必要性を感じれなくなっている自分と、その点に強く不満を感じている自分に気付きました。その不満の裏返しから、自分が胸を張るためには、役立つ物を作ったという結果以上に、その過程で自分が自身の力を活かして創意工夫を凝らした、と思えることが重要だと自覚しました。またこのような経験から逆説的に、開発シーンではそれが満たされない場合がある事に気づき、自分の専門知識や創意工夫をより強く求められる研究の方が好きだなと、思うようになりました。
ひとつ申し上げておきたいのですが、多くの開発には研究が付き纏うものです。それに、ただ試行を繰り返すだけでも色々と考えなければならない事が実際にはあります。ですからこれは、決して開発には頭を使わないという話ではないことはご理解いただきたいです。あくまでも、私の職場で求められる思考レベルが、私が自分に価値を見出せるくらいのものではなかった、という程度問題です。他の開発現場なら私の要請を満たす可能性がありますし、私以外の方なら私の職場で求められる思考レベルや試行頻度がしっくりくるかもしれません。
最後に
何度でも言いますが、研究開発はある程度セットになる事が多いです。ですから、自分は研究がしたい、開発がしたい、と一義的に考え行先を決めることはお勧めしません。私も研究志向などと書いていますが、一時的に区分けして、言語化・整理しやすくしているに過ぎません。
それぞれの好きな所嫌いなところを考え、優先順位を決め、それをよく満たす場所を丁寧に探すべきです。
また、研究所と名前がついてるから開発から遠いとも限りませんし、開発センターと名がついているから、研究をしていないわけではありません。私の職場は研究所と名付いていますが、研究はもうほとんどしていません。
言葉はツールでしかありません。言葉に騙されず、自身の求めるものと、行先での取り組み双方について、丁寧に細分化してみることをお勧めします。
以上、私の思ってきたこと考えたことが、誰かの参考になれば幸いです。
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